2010年4月20日
ウェールズの歴史
ウェールズのケルト系住民はローマ帝国の支配を受けたが、アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかった。イギリスのアーサー王伝説はアングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされる。中世にはケルト系小部族国家が群立し、やがてグウィネッズ、ポウィス、デヒューバースなどの地方王権が形成された。11世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなかった。実態としては、リズラン法典に従うマナー家臣団による統治であり、オックスフォード条項以降のコモンロー支配によって、事実上、ウェールズはイングランド王家に追従した。薔薇戦争やクロムウェルによる独裁の際には、ウェールズはその政争の争奪の舞台になった。この点で、1536年の法律によってウェールズが保護されたことは、イングランドおよびウェールズの歴史を紐解く上で重要な画期になった。
しかし外来者に対しては頑強な抵抗を示し、1066年にイングランドを征服したノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は、ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはならなかった。しかし、1282年ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗ったグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがエドワード1世に敗れ、イングランドの支配下に置かれた。エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えたが、ウェールズ人は決してイングランド人に同化されなかった。このような過程を経てウェールズはイングランド王国に征服されその統治を受けたが、このことが逆にウェールズ人の民族意識を強め、またこの地に殖民した異民族のほとんどがウェールズ人化されたという。なおかつ、ウェールズ人の長弓(ロングボウ)隊はイングランド王の軍勢の強力な戦力として名をはせ、後世のテューダー家に至っては、ウェールズ人のウェールズ大公の血統から出てイングランドの王家に収まり、さらにこの王朝の家臣団ではウェールズ人が重要な地位を占めた。政治的には勢力を失ったが、ウェールズ人としてのアイデンティティは21世紀になった現在でも非常に強いと言われている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ウェールズにあるカーディフ城は素晴らしい建造物です。ぜひ見てみたいです。
- Permalink
- by
- at 13:09